穐吉敏子さんのこと

 穐吉敏子さんの名前を知ったのは大学生の時だから、今から約15年前になる。エキストラとして参加していた某大学のジャズ・オーケストラで彼女の曲("Studio J")を取り上げることになったのがきっかけ。さっそくアルバムを手に入れて聴いてみたのだけれど、それまでせいぜいカウント・ベイシーかデューク・エリントンしか聴いたことがなかった自分の耳に、そのアレンジはやたら新鮮に響き、とにかくカッコ良かった。
 とりわけ、その当時の新譜だったアルバム"Farewell"や、先の"Studio J"を収録した"Insights"は、木管アンサンブルを効果的に用い、またホーンセクションのハイ・テクニックをベースとしたバッピッシュな曲想には眼も眩むよう。"After Mr. Teng"あたりで聴かせてくれるトシコさんのピアノソロもキマっていたけど、譜面に接する機会が多かったこともあって、彼女に対するイメージはまず「作・編曲者」だった。
 穐吉敏子さんが恐るべきキャリアを持っていることに薄々気付き始めたのは、もう少しジャズを聴くようになってから。それにしても、夫ルー・タバキンとのリハーサル・バンド録音以外にはレコーディングも少なく、ピアニストとしてのトシコさんの全貌は依然として掴みづらかった。
 そんな折りも折り、岩波新書から『ジャズと生きる』という、彼女の自伝が出版された(1996年10月21日第1刷)。息もつかずに読み切ってしまったが、とにかく必読書として推薦。日本人として、女性として、アメリカでの成功も挫折も淡々と語られる、その迫力。そして、並々ならぬ信念と自身。
 交友関係として登場する巨匠たち。バド・パウエル、ミンガス、ジョン・ルイス、評論家レナード・フェザーなどなど。若き渡辺貞夫も渡米前にカルテットを組んだ仲間として。

 とても久しぶりに"Farewell"を聴いてみたくなった。亡きミンガスに捧げられたこの曲での、ルー・タバキンのソロには、トシコさんへの暖かい愛情が感じられて、いつ聴いても涙が出そうになる。(1996.11.10)


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