朝比奈御大と江戸っ子芸人の粋

 御大、朝比奈隆の実演に接するチャンスがこれまで殆どなかったように思う。10年ほど前、新日本フィルの定期会員を続けていた頃に、きっと幾度かチャンスがあった筈なのだが、その演奏はなぜか記憶にない。御大はかのヘルベルト・フォン・カラヤンと同年生まれと聞いたことがあるが、そろそろ卆寿というお年ではなかろうか。高齢にも関わらず精力的な活動を続け、シカゴ響に客演してのアメリカ・デビュー演奏会も記憶に新しい。
 シカゴでの演奏会はブルックナーの交響曲5番、9番であり、前者はNHKの録画も放映された。この作曲家が残した交響曲の中でもとりわけ壮大にして晦渋な第5番をテレビで観たが、80歳を超えての御大の演奏は実に立派で、正直言って驚いた。このときから編集者は御大の演奏が気になり始めたような気がする。
 それにしても、ブルックナーの作品はなかなか録音でその真価を聴きとることが難しいと、常々思う。とくに金管を中心としたマッシヴな響きが音の伽藍を造る様は、ぜひ音響の良いホールで聴きたい。というわけで、チャンスがあれば御大の演奏をぜひ実演で、と考えていた。
 ところで、朝比奈マニアという人種は一種独特の熱狂を持ち、演奏会は司祭を伏し拝むミサのようだと揶揄する人もいる。ファンを自認する我が友人も、演奏会に出かけると独特の雰囲気があってどうも苦手だ、と云っていた。何かカリスマのようなものを感じるのだそうだ。近年ではチケットも殆ど入手不可能(即日完売)の有り様で、ローリング・ストーンズもびっくりである。
 しかし、やはり持つべきは友、でこの冬御大のベートーヴェン、しかも第9のチケットを確保してくれた。有り難いことである。新日本フィルがフランチャイズとして今後、定期演奏会を持つという墨田区の新しいホールで12月7日、交響曲第9番を聴いた。

 期待は裏切られることはなかった。さすが、といって良いできばえである。巨匠の確信に満ちた音楽の運びは決して弛緩することなく、二楽章は躍動感溢れ、三楽章は淡々と歩むが決して色あせない。終楽章ではやや演奏者の勢いに身を預け、結果として少々騒がしくなったりもしていたが、ささいな傷と思った。
 演奏を聴きながらどうしても「老い」ということを考えざるを得なかったのだが、御大の「芸」は決して「老い」を割り引く必要の無いものと感じ入った。矍鑠として緩むことのない佇まいも、オケをドライブする力強さも、まったく揺るぎない。そして演奏そのものは御大自らが掴んだベートーヴェンを伝えて余すところ無いのである。先ほど「芸」と書いたが、御大の演奏はまさしく「芸」であり、なぜか唐突に「江戸っ子芸人の粋」というフレーズが頭に浮かんだ。
 終演後の熱狂はどうやらいつもの出来事らしかったが、猛烈な拍手の嵐をあえて制し、勇退するファゴットの団員に花束を贈る御大の姿は、これまた粋であった。オケが退場した後も何度も舞台に呼び出され、その都度背筋をピンと伸ばしてゆっくりとステージに現れる御大をみていて、編集者はふと文楽師匠などを想起するのだった。(1997.12.30)


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